第1章:フロリダの片隅で出会った“居場所のない少年たち”
1990年代後半、アメリカ・フロリダ州コーラルスプリングス。太陽の強いその街で、後にポップパンク史を変えることになるバンドが静かに誕生しようとしていた。New Found Glory――その音楽は、世界中の若者たちへ“青春そのもの”を届けることになる。
中心にいたのは、圧倒的なハイトーンボイスを持つJordan Pundikだった。Jordanは決して典型的なロックスターではなかった。むしろ不器用で、感情を隠せず、どこか少年っぽさを残した人間だったのである。しかしその“未完成さ”こそが、後に多くの若者たちの心を掴むことになる。
そこへChad Gilbert、Ian Grushka、Steve Klein、そしてドラマーのCyrus Bolookiが集まり、バンドは形を持ち始める。
当時のアメリカでは、パンクロックが再び若者文化の中心へ戻り始めていた。Green DayやBlink-182が巨大な人気を獲得する中、多くの若者たちは“難しいことを考えずに叫べる音楽”を求めていた。しかしNew Found Gloryは、その流れの中でも少し違っていたのである。
彼らの音楽には、ハードコア由来の激しさがあった。疾走感だけではない。“感情を全部吐き出す”ような切実さが存在していたのである。特にJordan Pundikの声は独特だった。完璧ではない。しかしだからこそ、本物だった。
1999年に発表された『Nothing Gold Can Stay』は、その荒削りな魅力をそのまま封じ込めた作品だった。「Hit or Miss」には、若さ特有の不安定さと希望が混ざり合っていた。大人になりきれず、しかし子どものままでもいられない――そんな感情が、この曲には刻まれていたのである。
当時のライブハウスでは、観客たちが汗だくになりながらシンガロングしていた。New Found Gloryのライブには、“ここなら孤独じゃない”と思わせる空気があったのである。
一方で、彼らは決して“かっこつけたバンド”ではなかった。MVでもインタビューでも、常に少年みたいに笑い、ふざけ、仲間同士で騒ぎ続けていた。しかしその裏側では、全員が“音楽だけは本気”だったのである。
「Dressed to Kill」以前の初期楽曲を聴くと、既にNew Found Glory特有の“胸が締め付けられる青春感”が存在している。彼らは、単なるパーティーバンドではなかった。“大人になることへの恐怖”そのものを歌っていたのである。
そして、その不器用な叫びは、やがて世界中のティーンエイジャーたちの人生へ深く入り込んでいくことになる。
第2章:『New Found Glory』――青春が世界を飲み込んだ瞬間
2000年、New Found Gloryはセルフタイトルアルバム『New Found Glory』を発表する。そしてこの作品によって、彼らは一気にポップパンクシーンの中心へ躍り出ることになる。
「Hit or Miss」が再録され公開されると、若者たちは熱狂した。
疾走するギター。
泣きそうなメロディ。
そしてJordan Pundikの不器用な叫び。
その音楽には、“青春の全部”が詰まっていたのである。
当時、多くのポップパンクバンドが“遊び”や“悪ノリ”を前面に出していた。しかしNew Found Gloryは、それだけではなかった。彼らは、“本気で誰かを好きになって傷つく感覚”や、“大人になることへの恐怖”を真正面から歌っていたのである。
「Dressed to Kill」は、その象徴だった。
好きな相手へ届かない想い。
自分だけが取り残される感覚。
どうしようもない未熟さ。
その感情を、彼らは隠さなかった。
だからこそ、多くの若者たちは“これは自分たちの歌だ”と思ったのである。
ライブも急激に巨大化していく。観客たちは歌詞を叫び、ステージへ飛び込み、肩を組みながらシンガロングした。その光景は、まるで“青春そのもの”がライブハウスの中で爆発しているようだった。
また、この頃のNew Found Gloryは、ハードコアシーンとの強い繋がりも持っていた。彼らは単なるポップバンドではなく、“DIY精神を持ったパンクバンド”だったのである。そのため、メロディがどれだけキャッチーになっても、ライブには常に激しい熱量が残っていた。
特にChad Gilbertの存在は重要だった。彼は単なるギタリストではなく、バンド全体の“パンク精神”を支える人物だったのである。彼の鋭いコーラスとエネルギッシュなプレイが、New Found Gloryを単なる甘いポップパンクで終わらせなかった。
「Sucker」は、この時代の彼らを象徴する隠れた名曲だった。キャッチーなのに、どこか切ない。そしてその切なさこそが、New Found Glory最大の武器だったのである。
2000年代初頭、世界中の若者たちは変化の時代を生きていた。インターネット文化が広がり始め、ティーンエイジャーたちは“どこにも居場所がない感覚”を共有し始めていた。そんな中、New Found Gloryは、“不安定な青春そのもの”を音楽へ変えていたのである。
一方で、彼らは巨大化しても驕らなかった。ステージを降りれば、相変わらず友達みたいに笑い、くだらないジョークを飛ばし合っていた。その“普通っぽさ”もまた、多くのファンに愛された理由だった。
しかし、この成功の裏側で、メンバーたちは少しずつ気づき始めていた。
青春は永遠ではない。
そしてその“終わりの気配”こそが、後のNew Found Gloryをさらに深いバンドへ変えていくことになるのである。
第3章:『Sticks and Stones』――“失恋”が青春の国歌になった夜
2002年、New Found Gloryはキャリア最大級の代表作『Sticks and Stones』を発表する。そしてこのアルバムによって、彼らは単なる人気ポップパンクバンドではなく、“2000年代青春文化の象徴”になっていく。
「My Friends Over You」が流れた瞬間、多くの若者たちは一気にNew Found Gloryへ夢中になった。
失恋。
友情。
若さゆえの意地。
そして、強がり。
そのすべてが、この曲には詰め込まれていたのである。
“恋人より仲間を選ぶ”
その青臭い宣言は、当時のティーンエイジャーたちにとって“青春そのもの”だった。MVでふざけながら演奏するメンバーたちの姿も含め、「My Friends Over You」は2000年代ポップパンク史を代表するアンセムとなる。
しかし『Sticks and Stones』の本当の凄さは、“明るさ”だけではなかった。
「Sonny」では、亡くなった祖父への想いが歌われ、「The Story So Far」には、大人になることへの不安が滲んでいた。つまりNew Found Gloryは、“青春の楽しい部分”だけではなく、“失っていく痛み”も歌っていたのである。
ライブでは、観客たちが涙を流しながらシンガロングしていた。New Found Gloryの音楽には、“あの頃には戻れない”という切なさが最初から存在していたのである。
また、この頃の彼らはツアーバンドとしても圧倒的だった。Warped Tourをはじめ、数え切れないほどのライブを行い、毎晩のように若者たちと汗だくで歌い続けていた。その姿勢は、多くの後輩バンドへ大きな影響を与えていく。
Fall Out BoyやThe Wonder Yearsなど、後のエモ/ポップパンク世代のバンドたちも、New Found Gloryからの影響を公言している。なぜなら彼らは、“ポップ”と“本気の感情”を両立できる数少ない存在だったからである。
しかし成功が巨大化するにつれ、メンバーたちは少しずつ“青春バンドとして消費される怖さ”も感じ始めていた。
自分たちは、このままずっと“若さ”だけを歌い続けるのか。
その葛藤は、やがて彼らの音楽をさらに成熟させていくことになる。
第4章:大人になれなかった少年たち――変化と葛藤の2000年代後半
2000年代半ば、ポップパンクシーンは急激に変化していく。エモ文化が巨大化し、メジャーシーンではよりドラマチックで洗練されたサウンドが求められるようになっていた。その中で、New Found Gloryもまた“大人になること”を迫られていたのである。
2004年に発表された『Catalyst』は、その葛藤が色濃く現れた作品だった。
タイトル曲「All Downhill from Here」は衝撃的だった。
“ここから先は下り坂だ”
青春の終わりを予感させるその歌詞は、かつて「My Friends Over You」で無邪気に叫んでいた彼らとは明らかに違っていた。Jordan Pundikの声には、若さ特有の勢いだけではなく、“失うことへの恐怖”が滲んでいたのである。
一方でサウンドは、よりヘヴィでエモーショナルになっていた。Chad Gilbertのギターは鋭さを増し、リズム隊もハードコア色をさらに強めていった。つまりNew Found Gloryは、“ただの青春ポップパンク”から脱却しようとしていたのである。
しかし、その変化はファンの間で賛否を呼んだ。一部は新しい方向性へ熱狂したが、一方で“昔の無邪気なNew Found Gloryが好きだった”という声も増えていく。彼ら自身もまた、“自分たちは何者なのか”を模索していたのである。
「Truth of My Youth」は、この時代を象徴する重要曲だった。過去を振り返りながら、それでも前へ進もうとする感覚。その歌詞には、“青春が永遠ではない”という現実が刻まれていた。
ライブでは、かつてティーンエイジャーだった観客たちも少しずつ大人になっていた。学校帰りにライブハウスへ通っていた少年少女たちは、仕事を始め、恋人ができ、人生の重さを知り始めていたのである。しかしNew Found Gloryの音楽が鳴る瞬間だけは、全員が再び“あの頃”へ戻ることができた。
2006年の『Coming Home』では、その傾向がさらに強まる。
このアルバムは、New Found Glory史上最もメロウで繊細な作品だった。疾走感よりも、感情の余韻を重視したサウンド。特に「It’s Not Your Fault」には、“誰も悪くないのに人生は変わってしまう”という切なさが漂っていた。
当時、一部メディアはこの作品を“地味”だと評した。しかし後年、『Coming Home』は多くのファンに“最も深いアルバム”として再評価されることになる。なぜならそこには、“青春が終わった後の人生”が描かれていたからである。
「Oxygen」は、その象徴だった。
誰かを必要とすること。
ひとりでは生きられないこと。
そして、大人になっても不安は消えないこと。
その感情は、かつてのNew Found Gloryには存在しなかった“成熟した痛み”だったのである。
しかし、この時代の彼らは商業的には苦戦も経験していた。シーンの中心は次第に別のバンドへ移り始め、“ポップパンクブーム”そのものが落ち着き始めていたのである。
それでも彼らは止まらなかった。
なぜならNew Found Gloryにとって音楽とは、“流行”ではなかったからだ。それは、人生そのものだったのである。
また、この頃の彼らは後輩バンドたちから異常なほど尊敬される存在になっていた。ライブハウス時代から変わらないDIY精神、ファンとの距離感、そしてどれだけ時代が変わっても“自分たちの音”を守り続ける姿勢。そのすべてが、多くの若手バンドへ影響を与えていたのである。
そして皮肉なことに、時代の中心から少し離れたことで、New Found Gloryはさらに“本物のバンド”になっていった。
彼らはもう、“若者の一瞬の流行”ではなかった。
人生そのものに寄り添う音楽へ変わり始めていたのである。
第5章:傷だらけでも鳴り続ける――喪失と再生の時代
2010年代に入る頃、New Found Gloryは既に“シーンの生き残り”のような存在になっていた。
2000年代初頭に共にブームを作った多くのバンドが解散、活動休止、方向転換していく中、彼らだけはひたすらライブを続けていたのである。どれだけ時代が変わっても、彼らは変わらず汗だくで演奏し、観客と一緒にシンガロングしていた。
その姿は、多くのファンにとって特別だった。
なぜならNew Found Gloryは、“青春の思い出”では終わらなかったからである。
2011年の『Radiosurgery』では、初期ポップパンクへの回帰が感じられた。Ramonesへの愛情をむき出しにしたそのサウンドには、“どれだけ歳を取っても、自分たちはこの音楽を愛している”という純粋さがあった。
「Summer Fling, Don’t Mean a Thing」は、その時代を象徴する楽曲だった。青春の恋、終わってしまう夏、戻れない時間。その甘酸っぱさは、若い頃以上に“大人になったリスナー”の胸へ刺さったのである。
しかし、この時代の彼らには大きな試練も訪れる。
2014年、Chad Gilbertに癌が見つかる。
そのニュースは、ファンへ大きな衝撃を与えた。New Found Gloryの“心臓”とも言える存在だったChadが、命に関わる病気と戦っている――その現実を、多くの人が受け止めきれなかったのである。
しかしChadは諦めなかった。
治療を続けながら、彼は再びステージへ戻ってくる。そしてその姿は、ファンたちに“生き続けること”の意味を強く刻み込んだのである。
2017年の『Makes Me Sick』には、そんな彼らの執念が詰まっていた。
「Happy Being Miserable」は、New Found Gloryらしい皮肉なタイトルだった。幸せになりたいのに、どこか不幸な自分に安心してしまう――その感覚は、青春を終えた世代のリアルそのものだった。
一方で、「The Sound of Two Voices」には、長年バンドを続けてきた仲間たちの絆が滲んでいた。彼らはもう若者ではない。しかしだからこそ、“一緒に生き延びてきた重み”が音楽へ刻まれていたのである。
ライブでは、観客の景色も変わっていた。
かつてのティーンエイジャーたちは親になり、仕事帰りにライブへ来るようになっていた。しかしイントロが鳴った瞬間、全員が再び10代へ戻るのである。
「My Friends Over You」が始まると、肩を組みながら叫び、笑い、泣く。その光景には、“人生が変わっても消えない青春”が存在していた。
また、この頃になるとNew Found Gloryは“ポップパンク界の兄貴分”的存在になっていた。若い世代のバンドたちが、彼らへの憧れを公言するようになっていたのである。
なぜならNew Found Gloryは、成功しても、苦しんでも、流行が終わっても、“ライブハウスの精神”を捨てなかったからだ。
そしてその誠実さこそが、彼らをここまで長く愛される存在にしたのである。
傷だらけになりながら、それでも鳴り続ける。
New Found Gloryは、そんな“人生そのもの”みたいなバンドになっていったのである。
第6章:永遠の放課後――New Found Gloryが残した“青春の居場所”
現在、New Found Gloryは単なるポップパンクバンドではない。彼らは、“青春そのものの記憶”になっている。
2000年代初頭、彼らの音楽を聴いていた少年少女たちは、もう大人になった。学校帰りにCDショップへ通っていた時代は終わり、MTVを待ち続けた夜も過去になった。しかし、それでも「Hit or Miss」のイントロが流れた瞬間、人々は一気に“あの頃”へ戻ってしまうのである。
それは単なる懐かしさではない。
New Found Gloryの音楽には、“若かった頃の感情”そのものが閉じ込められているからだ。
不安。
恋愛。
友情。
孤独。
未来への恐怖。
大人になりたくない気持ち。
彼らは、それを決して飾らなかった。だからこそ、その歌は20年以上経った今でも本物のまま響き続けているのである。
2010年代後半から2020年代にかけて、ポップパンクは再び再評価され始める。TikTokやストリーミングを通じ、新しい世代の若者たちがNew Found Gloryへ辿り着き始めたのである。
驚くべきことに、その音楽は全く古くならなかった。
「My Friends Over You」のイントロが鳴れば、今の若者たちも叫びたくなる。「All Downhill from Here」を聴けば、年齢に関係なく“人生が変わってしまう怖さ”を感じる。そして「It’s Not Your Fault」では、多くの人が“自分の人生”を重ねてしまうのである。
それこそがNew Found Gloryの強さだった。
彼らは“時代の流行”ではなく、“感情そのもの”を歌っていた。
また、彼らの存在はシーン全体にも大きな影響を残している。The Story So Far、State Champs、Neck Deepなど、多くの現代ポップパンクバンドがNew Found Gloryからの影響を公言している。
特に“ハードコア精神を持ったポップパンク”というスタイルは、New Found Gloryがシーンへ刻み込んだ大きな遺産だった。彼らはキャッチーなメロディを持ちながらも、常にライブハウス的熱量を失わなかったのである。
Jordan Pundikの存在もまた特別だった。
彼は完璧なボーカリストではない。むしろ不器用で、感情が先走り、時には壊れそうな声で歌っていた。しかしだからこそ、その歌は本物だった。上手さよりも、“感情そのもの”が先に届く。そのスタイルは、多くの後続ボーカリストへ影響を与えていったのである。
また、New Found Gloryは“仲間”という概念を何より大切にしていた。
彼らの音楽には、常に“ひとりじゃない”という空気があった。恋愛に傷ついても、人生に迷っても、友達と馬鹿みたいに笑っている瞬間だけは救われる――その感覚が、彼らの曲には宿っていたのである。
「Listen to Your Friends」は、その精神を象徴する楽曲だった。
大人になると、人は少しずつ孤独になる。しかしNew Found Gloryは、ずっと“仲間と笑っていた頃”を忘れなかった。
そしてそれは、ファンたちにとっても同じだった。
ライブ会場では、何年ぶりかに再会した友人同士が肩を組み、「Dressed to Kill」を大合唱している。かつて10代だった観客たちは、それぞれの人生を歩みながら、それでもこの場所へ戻ってくるのである。
そこには、“青春の続き”が存在している。
近年、Chad Gilbertは癌治療を乗り越え、再びステージへ立ち続けている。その姿は、多くのファンにとって極めて象徴的だった。人生には苦しみもある。失うものもある。しかし、それでも前を向いてギターを鳴らし続ける――その姿勢こそが、New Found Gloryそのものだったのである。
彼らは決して“完璧な人生”を歌わなかった。
むしろ、失敗して、傷ついて、不安定で、それでも仲間と笑いながら前へ進もうとする人間たちの音楽だった。
だからこそ、ここまで長く愛され続けている。
そして今日もまた、世界のどこかで「My Friends Over You」が鳴り始める。その瞬間、誰かが思い出す。
青春は終わる。
だけど、あの頃の感情だけは消えない。
New Found Gloryとは、単なるポップパンクバンドではない。
彼らは、“人生の中にずっと残り続ける放課後”そのものだったのである。





