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地獄よりうるさく、雷より速く――エーシー・ディーシー(AC/DC)という“不滅のロックンロール”の真実

第1章:オーストラリアの片隅で生まれた“電流”――ヤング兄弟の夢

1970年代初頭、世界のロックシーンは急速に巨大化していた。サイケデリック、プログレッシブ、アートロック――音楽は複雑になり、ステージ演出は豪華になり、“ロックは芸術である”という価値観が広がっていた。しかし、その流れに強烈な違和感を抱いていた兄弟がいた。後にAC/DCを生み出すことになる、Malcolm YoungとAngus Youngである。

スコットランドからオーストラリアへ移住してきたヤング一家は、決して裕福ではなかった。移民としての生活は厳しく、音楽は彼らにとって“現実から抜け出すための武器”だった。兄のMalcolmは寡黙で頑固な性格だったが、ロックンロールに対する信念は異常なほど強かった。一方、弟のAngusは小柄で落ち着きがなく、学校では問題児扱いされることも多かった。しかし彼の中には、制御不能なエネルギーが渦巻いていたのである。

1973年、兄弟はAC/DCを結成する。バンド名は姉マーガレットのミシンに書かれていた“AC/DC(交流/直流)”の表記から取られたと言われている。その名前には、“電流のようなエネルギー”という意味が込められていた。そして実際、彼らの音楽はまさに高電圧そのものだった。

初期のAC/DCは、現在知られている姿とは少し違っていた。メンバーは流動的で、サウンドもまだ定まっていなかった。しかしMalcolm Youngだけは最初から確信していた。“ロックンロールはもっとシンプルであるべきだ”と。彼は余計な装飾を嫌い、ブルース由来の巨大なリフを何より重視した。その感覚は、後にAC/DCを唯一無二の存在へ変えていく。

やがてバンドへ加入したのが、後に伝説となるボーカリストBon Scottだった。Bon Scottは、それまでのロックスター像とは全く違っていた。危険で、下品で、酒臭く、しかし異常なほど魅力的だったのである。彼の声には“人生の裏路地”がそのまま刻まれていた。

そしてAngus Youngの“学生服スタイル”も、この頃に誕生する。姉の提案で始まったその衣装は、後に世界的アイコンになる。当時のライブでは、小柄なAngusがステージを暴れ回り、床を転がり、狂ったようにギターを弾き続けていた。観客はその姿に衝撃を受けた。“こんなロックバンドは見たことがない”――誰もがそう感じていたのである。

「Can I Sit Next to You Girl」は、初期AC/DCの荒削りな魅力を象徴する楽曲だった。まだ完成されてはいない。しかしそこには既に、“世界を壊すロックンロール”の匂いがあった。当時のオーストラリアの若者たちは、AC/DCに“退屈な時代への反抗”を見ていたのである。

しかしメディアの評価は決して高くなかった。一部の評論家は彼らを“下品なバー・バンド”と切り捨てた。だがAC/DCは全く気にしなかった。彼らは最初から、“評論家のため”ではなく、“汗だくで暴れたい若者たちのため”に音楽を鳴らしていたからである。

そしてこの時、まだ誰も知らなかった。このオーストラリアの荒くれ者たちが、後に“世界最大級のロックバンド”になるということを。

第2章:Bon Scottという“爆弾”――危険すぎたロックンロール

AC/DCが本当に“AC/DC”になった瞬間、それはBon Scottがフロントマンとして完全に覚醒した時だった。

Bon Scottは、ロックスターになるために生まれてきたような男ではなかった。むしろ逆だった。若い頃から問題ばかり起こし、バイク事故を起こし、刑務所に入ったことすらある。しかし、その荒れた人生経験こそが、彼を唯一無二の存在にしていたのである。

1975年、AC/DCは『High Voltage』を発表する。このアルバムは、後のAC/DCの基本形を完全に作り上げた作品だった。Malcolm Youngの巨大なリズムギター、Angus Youngの暴れ回るソロ、そしてBon Scottの危険な歌声。その組み合わせは、あまりにも強烈だった。

「It’s a Long Way to the Top (If You Wanna Rock ’n’ Roll)」は、この時代を象徴する楽曲だった。ロックバンドとして成功することの過酷さを歌いながら、そのサウンドは異常なほど陽気だった。そして何より衝撃的だったのが、Bon Scott自身によるバグパイプ演奏だった。ロックと伝統楽器をここまで荒々しく融合させた例は当時ほとんど存在しなかったのである。

ライブでは、AC/DCは完全に暴走していた。Angus Youngは客席へ突っ込み、床を転げ回りながらギターを弾き続ける。Bon Scottは酒瓶を片手に観客を煽り、ステージは毎回暴動寸前になる。当時の観客は、“AC/DCのライブはコンサートではなく喧嘩だ”と語っている。

しかし彼らの魅力は、単なる暴力性ではなかった。AC/DCの音楽には、不思議なほど“楽しさ”があったのである。どれだけ荒々しくても、そこには“ロックンロールを心から愛している”空気があった。

「High Voltage」は、特に若い労働者階級のファンたちに支持された。難しいメッセージも、芸術論もない。ただ酒を飲み、汗をかき、ギターを爆音で鳴らす。その潔さが、多くの若者たちを救っていたのである。

一方で、メディアは相変わらず彼らを低く見ていた。“単純すぎる”“知性がない”――そんな批判は絶えなかった。しかし皮肉にも、その“単純さ”こそがAC/DC最大の武器だった。彼らは余計なものをすべて削ぎ落とし、“ロックンロールの本能”だけを残していたのである。

1976年以降、AC/DCはイギリスやヨーロッパへ進出し始める。特にイギリスでは、パンクムーブメントが爆発寸前だった。そんな中、AC/DCはパンクとは違う形で“古いロックを破壊する存在”として注目され始める。

「Dirty Deeds Done Dirt Cheap」は、この頃の彼らを象徴する代表曲だった。犯罪者のようなユーモア、巨大なリフ、そしてBon Scottのニヤつくような歌声。その危険な魅力は、多くの若者たちを虜にしたのである。

やがてライブ会場はどんどん大きくなっていく。しかしAC/DCは変わらなかった。巨大な成功が見え始めても、彼らは相変わらず“場末のバー”のような空気を持ち続けていた。それこそがAC/DCだった。彼らはロックを“神聖化”しない。ロックとは、本来もっと汚く、汗臭く、騒々しいものだと知っていたのである。

そしてその危険な電流は、ついに世界中を飲み込み始めていた。

第3章:『Highway to Hell』――世界を焼き尽くした地獄への高速道路

1970年代後半、AC/DCは既にライブバンドとして伝説的存在になりつつあった。しかし彼らにはまだ、“世界を完全に制圧する一枚”が存在していなかった。

その状況を変えたのが、1979年に発表された『Highway to Hell』だった。

このアルバム制作時、バンドは大きな転機を迎えていた。それまでAC/DCは、“荒削りで危険なバンド”として熱狂的ファンを持ちながらも、アメリカ市場では決定的ブレイクに届いていなかった。そこで起用されたのが、プロデューサーRobert John Lange――後の“Mutt Lange”である。

LangeはAC/DCの本質を壊さずに、“巨大なロックバンド”として鳴らす方法を知っていた。彼はBon Scottのボーカルをより鋭く際立たせ、Malcolm Youngのリフを鉄の壁のように強化し、Angus Youngのギターソロをより攻撃的に響かせた。その結果、『Highway to Hell』は、単なるロックアルバムではなく、“ロックンロールの兵器”のような作品になったのである。

タイトル曲「Highway to Hell」は、その象徴だった。“地獄への高速道路”――その言葉は、長すぎるツアー生活と終わらない移動の日々を皮肉ったものだった。しかしそのサウンドは、まるで地獄へ向かうことすら最高のパーティーに変えてしまうような高揚感に満ちていた。

ライブでこの曲が始まる瞬間、会場の空気は完全に変わった。巨大なリフが鳴り響き、Bon Scottがニヤリと笑いながら歌い出すと、観客全員が拳を突き上げた。当時のロックファンたちは、“AC/DCは難しいことを何も言わないのに、なぜこんなに自由を感じるのか”と語っている。

「Touch Too Much」では、Bon Scottの色気とユーモアが爆発していた。一方「Shot Down in Flames」には、ツアー生活に疲弊しながらも走り続けるバンドの姿が滲んでいた。つまり『Highway to Hell』とは、単なるヒットアルバムではなく、“AC/DCの生き方そのもの”だったのである。

そしてこの頃、Angus Youngは完全に“ギターヒーロー”になっていた。学生服姿で暴れ回りながらギターを弾くその姿は、世界中の若者たちへ強烈な印象を残した。彼は単なる技巧派ではない。Angusの魅力は、“感情そのものがギターになっている”ような爆発力だった。

しかし、その巨大な成功の裏側で、Bon Scottの生活はさらに危険になっていく。酒、ドラッグ、終わらないツアー。彼はもともと“壊れそうな人間”だった。しかし皮肉なことに、その危うさこそが彼の魅力でもあったのである。

当時のメディアは、AC/DCを“下品で危険なバンド”として扱い続けた。特に宗教団体などは、「Highway to Hell」というタイトルを問題視し、“悪魔的だ”と批判した。しかし若者たちは逆にその危険さへ熱狂していく。AC/DCは、“正しく生きろ”という社会に対して、“好きに暴れろ”と叫んでいたのである。

1979年末、AC/DCはついにアメリカでも巨大な成功を掴み始める。しかしその時、誰も想像していなかった。彼らの絶頂は、同時に“最悪の悲劇”の入口でもあったということを。

第4章:Bon Scottの死――終わるはずだった伝説

1980年2月19日。ロック史は、その日を永遠に忘れない。

Bon Scottが死んだ。

ロンドンで酒を飲み続けた末、彼は車の中で意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。享年33歳。あまりにも突然で、あまりにもAC/DCらしい最期だった。

そのニュースは世界中のファンを打ちのめした。Bon Scottは単なるボーカリストではなかった。彼はAC/DCそのものだったのである。危険で、下品で、笑っていて、壊れそうで、それでも圧倒的に“生きていた”。そんな存在が消えてしまった。

バンドは完全に崩壊寸前だった。特にAngus YoungとMalcolm Youngは深い喪失感に沈んでいた。Bonは単なる仲間ではない。長年、共に地獄のようなツアーを走り抜けてきた“家族”だったのである。

当時、多くの人が“AC/DCは終わった”と思っていた。実際、バンド自身も解散を真剣に考えていたと言われている。しかしその時、Bon Scottの家族が彼らへこう伝えた。“Bonなら続けてほしいと思うはずだ”と。

その言葉は、Young兄弟の心を動かした。

そして加入したのが、新たなボーカリストBrian Johnsonだった。

Brian JohnsonはBon Scottとは全く違うタイプのシンガーだった。Bonが“危険な不良”なら、Brianは“鋼鉄の労働者”だった。しかし彼の声には、とてつもない爆発力があった。初めてリハーサルで歌った瞬間、バンドは確信したと言われている。“まだ終わっていない”と。

そして1980年、AC/DCは『Back in Black』を発表する。

黒一色のジャケット。それはBon Scottへの追悼だった。しかしアルバムの中身は、悲しみに沈むものではなかった。むしろ逆だった。そこには、“死んでもロックンロールは止まらない”という執念が詰め込まれていたのである。

タイトル曲「Back in Black」は、ロック史上最も有名なギターリフのひとつとなる。鐘のように重いリズム、巨大なグルーヴ、そしてBrian Johnsonの咆哮。その瞬間、AC/DCは“Bon Scottを失ったバンド”ではなく、“さらに巨大な怪物”へ変貌した。

「Hells Bells」のイントロで鳴り響く鐘は、Bon Scottへの葬鐘のようだった。しかしその後に続くリフは、“俺たちはまだ生きている”という宣言そのものだったのである。

『Back in Black』は世界中で爆発的に売れた。現在でも史上最高売上アルバムの一枚として知られている。しかし重要なのは、その成功が単なる商業的ヒットではなかったことだ。多くのファンは、このアルバムを“悲しみを乗り越えるためのロックンロール”として受け止めていたのである。

「You Shook Me All Night Long」は、AC/DC史上最もポップで親しみやすい曲のひとつだった。しかしそこにも、バンド特有の荒々しさは失われていなかった。つまり彼らは、“売れるために変わった”のではない。“世界がAC/DCへ追いついた”のである。

当時のライブは異様だった。Bon Scottの死による悲しみを抱えながら、それでも観客は狂ったように熱狂した。Angus Youngはさらに激しくギターを弾き、Brian Johnsonは喉が潰れる寸前まで叫び続けた。その姿には、“生き残った者たちの執念”が宿っていた。

多くのバンドは、中心人物を失えば終わる。しかしAC/DCは違った。彼らは悲劇を抱えたまま、“さらに巨大なロックンロール”になってしまったのである。

そしてこの時から、AC/DCは単なる人気バンドではなく、“不滅の象徴”として世界へ刻まれていくことになる。

第5章:止まらない雷鳴――“Back in Black”以後の帝国

『Back in Black』の成功は、もはや“ヒット”という言葉では説明できなかった。AC/DCは1980年代に入り、単なるロックバンドではなく、“巨大な現象”になっていく。

しかし興味深いのは、その巨大化の中でも彼らが全く変わらなかったことだった。

派手なシンセサイザーも、時代に合わせた流行も、難解なコンセプトもない。ただ巨大なギターリフ、汗臭いグルーヴ、そして観客を暴れさせるためだけに存在するようなロックンロール。それでもAC/DCは、世界最大級のスタジアムを埋め尽くしていたのである。

1981年の『For Those About to Rock (We Salute You)』では、その“帝王感”がさらに強まる。タイトル曲「For Those About to Rock」は、ライブ終盤で本物の大砲を撃ち鳴らすという演出と共に、AC/DC最大級のライブアンセムとなった。

観客たちは拳を突き上げ、“We Salute You!”と叫び続ける。その光景は、まるで巨大な軍隊の儀式のようだった。しかしAC/DCは決して政治的なバンドではない。彼らが崇拝していたのは、ただひとつ――“ロックンロールの快楽”だったのである。

1980年代半ばになると、音楽シーンは急激に変化していく。MTV時代が始まり、派手なビジュアルとポップ性が重視されるようになった。しかしAC/DCは、そんな流れすら無視した。革ジャン、汗、爆音。それだけだった。

一時的に人気が落ち着いた時期もあった。特に『Fly on the Wall』や『Blow Up Your Video』の頃、一部メディアは“AC/DCは時代遅れだ”と語り始める。しかし彼らは気にしなかった。なぜならAC/DCは、“流行になるため”に存在していたわけではなかったからである。

むしろ、この時期のライブこそ異様だった。流行から少し外れたことで、逆に“本当にAC/DCを愛する観客”だけが集まり始めていたのである。会場には革ジャン姿のファンたちが並び、イントロが鳴った瞬間、巨大なシンガロングが始まる。その熱量は、むしろ1970年代以上だった。

「Who Made Who」は、この時代を象徴する重要曲だった。映画『Maximum Overdrive』のために制作されたこの曲は、シンプルなリフと不穏なグルーヴで、多くの若いリスナーを再びAC/DCへ引き戻したのである。

そして1990年、彼らは再び世界を震わせる。

『The Razors Edge』――このアルバムによって、AC/DCは完全復活を果たした。

「Thunderstruck」のイントロが鳴り響いた瞬間、多くのロックファンは衝撃を受けた。Angus Youngによる高速リフは、まるで雷そのものだった。そしてBrian Johnsonの咆哮が加わった瞬間、AC/DCは“過去の伝説”ではなく、“今なお最強のロックバンド”であることを証明したのである。

ライブで「Thunderstruck」が始まる瞬間は特別だった。巨大な観客席が一斉に揺れ始め、数万人が“Thunder!”と叫ぶ。その熱狂は、もはやスポーツイベントや宗教儀式に近かった。

「Moneytalks」もまた、この時代の代表曲だった。AC/DCは相変わらず難しいことを歌わない。金、酒、女、ロックンロール。しかしその潔さが、逆に時代を超える強さになっていたのである。

当時の若い世代――特にグランジ世代のミュージシャンたちも、AC/DCへの敬意を隠さなかった。NirvanaやMetallicaのメンバーたちも、AC/DCを“最も純粋なロックバンド”として語っている。

なぜならAC/DCは、“ロックが本来持っていた野蛮な快楽”を最後まで失わなかったからだ。

彼らの音楽は決して複雑ではない。しかし簡単でもない。Malcolm Youngのリフは、一見単純に聴こえて、実際には驚異的なグルーヴを持っている。その“揺れ”こそが、AC/DCを唯一無二にしていたのである。

1990年代以降、彼らは完全に“世代を超えた怪物”になっていく。親が聴き、子どもが聴き、さらにその次の世代まで聴く。AC/DCのロックンロールは、流行ではなく“文化”になっていた。

そしてその文化は、今も世界中のスタジアムで鳴り続けているのである。

第6章:ロックンロールは死なない――AC/DCという“永遠”

現在、AC/DCは単なるロックバンドではない。彼らは“ロックンロールそのもの”の象徴になっている。

時代は何度も変わった。グランジが生まれ、ヒップホップが世界を支配し、ストリーミング時代が到来した。しかしそのすべてを横目に、AC/DCはひたすら同じように爆音を鳴らし続けてきた。

そして驚くべきことに、その姿勢こそが彼らを“不滅”にしたのである。

2010年代、バンドには再び大きな試練が訪れる。2014年、AC/DCの“背骨”とも言えるMalcolm Youngが認知症により活動不能となる。彼はバンドの創設者であり、最も重要なリフメーカーだった。派手なAngus Youngの陰で、AC/DCのグルーヴを支え続けた真の司令塔――それがMalcolmだったのである。

2017年、Malcolm Youngはこの世を去る。

そのニュースは、世界中のロックファンに深い衝撃を与えた。多くの人が、“これで本当にAC/DCは終わるのではないか”と感じていた。しかしAngus Youngは止まらなかった。

なぜなら、AC/DCにとってロックンロールとは“仕事”ではなかったからだ。それは、生き方そのものだったのである。

2020年、バンドは『Power Up』を発表する。このアルバムは、Malcolm Youngへ捧げられた作品だった。収録曲には、彼が生前残していたリフアイデアが使用されている。

特に「Shot in the Dark」は、“AC/DCはまだ終わっていない”という宣言のようだった。巨大なリフ、Brian Johnsonの叫び、そしてAngus Youngの火花のようなギター。その音を聴いた瞬間、多くのファンは涙を流したのである。

ライブにおけるAC/DCの存在感も、今なお異常だ。巨大なステージ、爆発するキャノン砲、走り回るAngus Young。そして観客全員が大合唱する「Highway to Hell」。その光景は、まるでロックンロールという文化そのものの“生存証明”のようである。

「Back in Black」は今も世界中で鳴り続けている。スポーツ会場、映画、バー、クラブ――どこで流れても、人々は反射的に身体を揺らしてしまう。それはAC/DCの音楽が、“理屈”ではなく“本能”へ直接届くからだ。

近年では、若い世代による再評価もさらに進んでいる。TikTokやストリーミング経由でAC/DCへ辿り着いたリスナーたちは驚く。“なぜ50年前の音楽が、こんなにエネルギーを持っているのか”と。

その答えはシンプルだ。

AC/DCは、“かっこつけるため”にロックをやっていなかった。彼らは本気で、ロックンロールを愛していたのである。

だから彼らの音には嘘がない。Malcolm Youngのリフには汗と労働者の匂いがあり、Bon Scottの声には裏路地の酒場があり、Brian Johnsonの咆哮には生き残った者の執念がある。そしてAngus Youngのギターには、“人生を全部燃やしてもいい”という狂気が宿っている。

AC/DCは芸術論を語らない。世界を変えるメッセージも叫ばない。しかし彼らは、もっと根源的なことを知っていた。

“ロックンロールとは、生きていることそのものだ”ということを。

だから今夜もまた、世界のどこかで「Thunderstruck」のイントロが鳴り響く。そして誰かが拳を突き上げる。その瞬間、人は思い出すのである。

ロックンロールは死なない。

少なくとも、AC/DCが鳴り続ける限り――その電流は永遠に世界を走り続けるのだと。