ホーム / 洋楽 / ロックンロールはまだ死んでいない――そう世界へ殴り込んだ5人組 ― ザ・ハイブス(The Hives)、白黒スーツで世界を燃やした“最後のガレージ・ロック・ギャング”

ロックンロールはまだ死んでいない――そう世界へ殴り込んだ5人組 ― ザ・ハイブス(The Hives)、白黒スーツで世界を燃やした“最後のガレージ・ロック・ギャング”

第1章:スウェーデンの退屈な町で、“世界最強のロックバンド”は生まれた

1990年代初頭、スウェーデンの小さな町ファーゲスタ。そこは、世界のロックシーンの中心とは程遠い場所だった。長い冬、静かな街、退屈な日常。しかしその閉塞感の中で、異様なエネルギーを持った若者たちが集まり始める。それが、後のThe Hivesだった。彼らは最初から、“知的で洗練されたバンド”ではなかった。むしろ逆だった。うるさい。速い。下品。しかし異常にカッコいい。それがThe Hivesだったのである。

特にフロントマンのHowlin’ Pelle Almqvistは圧倒的だった。細身の身体、狂ったような動き、観客を煽り倒すマイクパフォーマンス。しかし彼は単なる“暴れるボーカル”ではなかった。彼には、“ロックスターとは何か”を本能的に理解している感覚があったのである。またThe Hivesは、当時流行していたグランジとも違っていた。1990年代初頭のロックは、どこか“内向き”だった。苦悩、孤独、自己破壊。しかしThe Hivesは、その流れへ真正面から逆らったのである。

彼らは、“ロックンロールはもっと馬鹿で、もっと危険で、もっと楽しいものだ”と叫んでいた。しかも彼らは、初期から徹底した美学を持っていた。白黒のスーツ、統一されたビジュアル、過剰な自信。それは単なるファッションではなかった。The Hivesは、“バンドそのものを一つのギャング”みたいに見せていたのである。またそのスタイルは、“ロックバンドは音楽だけではなく、存在そのものが事件であるべきだ”という思想にも繋がっていた。

また彼らの音楽には、1960年代ガレージロックやパンクロックへの深い愛が流れていた。The Sonics、Ramones、The Stooges。その荒々しいエネルギーを、The Hivesは1990年代へ蘇らせようとしていたのである。しかし面白いのは、彼らが“懐古主義”ではなかった点だった。The Hivesは、昔のロックをコピーしたかったわけではない。むしろ、“ロックの初期衝動”だけを現代へ持ち込もうとしていたのである。

だから彼らの曲は短い。速い。無駄がない。爆発したら終わる。そこが最高だった。また当時のスウェーデンは、メロディックで綺麗なポップミュージックでも注目され始めていた。しかしThe Hivesは、そのイメージをぶち壊した。彼らはもっと汚く、もっと騒がしく、もっと危険だった。そしてその危険性こそ、後に世界中のロックキッズたちを熱狂させていくのである。

また初期のThe Hivesには、“自分たちは世界を変えられる”という根拠のない自信があった。しかしロックンロールにおいて、その感覚は極めて重要だった。大人たちに笑われても、時代遅れと言われても、“俺たちは最高だ”と言い切る。そのハッタリこそ、ロックの本質だったのである。そしてThe Hivesは、その感覚を本気で信じていた。

やがてその異様なエネルギーは、スウェーデン国内だけでは収まらなくなっていく。退屈な地方都市から始まった白黒スーツのギャングたちは、ロックシーン全体へ殴り込みをかけようとしていた。彼らは、“ロックンロールはまだ死んでいない”という事実を証明するために現れた。そしてその暴動は、2000年代に入ると世界規模へ広がっていくのである。

第2章:『Veni Vidi Vicious』― “Hate to Say I Told You So”が世界を蹴り飛ばした瞬間

2000年、The Hivesはアルバム『Veni Vidi Vicious』を発表する。Veni Vidi Vicious。その瞬間、ロックシーンに新しい爆発音が響いた。特に「Hate to Say I Told You So」。Hate to Say I Told You So。この曲は、2000年代ガレージロック・リバイバルの象徴になる。ギターが鳴った瞬間、空気が変わる。速い。雑。凶暴。しかし同時に、異常なほどキャッチーだったのである。

特にHowlin’ Pelle Almqvistのボーカルは危険だった。彼は“歌う”というより、“挑発していた”。観客を煽り、世界を笑い、ロックンロールそのものを暴走させていたのである。またこの時代、The StrokesやThe White Stripesなど、“ガレージロック復活”の流れが起き始めていた。しかしThe Hivesは、その中でも特に危険だった。なぜなら彼らは、“クールさ”だけでは終わらなかったからである。

彼らには、“本当に暴れそうな空気”があった。ライブになると、その感覚はさらに異常だった。Howlin’ Pelleはステージを走り回る。観客へ怒鳴る。マイクスタンドを振り回す。しかしその全てが、“計算されたカオス”だったのである。彼は、本当に頭が良かった。“ロックバンドとは、観客を日常から引き剥がす存在でなければならない”。そのことを、彼は完全に理解していたのである。

また『Veni Vidi Vicious』最大の魅力は、“ロックンロールの快楽”へ一直線だった点だった。難しいことは言わない。ただ速く、ただうるさく、ただ最高に気持ちいい。その潔さが、2000年代初頭の若者たちへ強烈に刺さったのである。またThe Hivesの楽曲は、短いのに異常な中毒性を持っていた。リフ、シャウト、ビート。その全てが、“一瞬で脳を掴む構造”になっていたのである。

しかも彼らは、“バンドのキャラクター作り”も完璧だった。インタビューでは常に過剰、自信満々、“俺たちは世界最高のロックバンドだ”と言い切る。普通なら嫌味になる。しかしThe Hivesの場合、それが異常に面白かったのである。なぜなら彼ら自身が、“ロックスターというフィクション”を全力で楽しんでいたからだった。またその感覚は、どこか昔ながらのロックスター文化への愛情でもあった。

また彼らの成功は、“北欧ロック”のイメージそのものも変えていった。冷静で美しい北欧音楽。そのイメージを、The Hivesは笑いながら破壊したのである。彼らはもっと汗臭く、もっと馬鹿で、もっと危険だった。しかしだからこそ、本物だった。また彼らの音楽には、“ロックは本来ダンスミュージックだった”という感覚も残っていた。観客は考える前に身体が動いてしまう。その衝動が、The Hives最大の武器だったのである。

そして『Veni Vidi Vicious』によって、The Hivesは世界へ殴り込みをかける。ロックンロールはまだ終わっていない。その事実を、彼らは白黒スーツ姿で証明してしまったのである。しかも彼らは、その証明を“深刻な顔”ではなく、“最高に楽しそうな笑顔”でやってのけた。そこがThe Hivesだった。ロックンロールは苦悩だけじゃない。笑いながら世界を燃やすことだと、彼らは全力で叫んでいたのである。

第3章:ステージは戦場だった ― The Hivesが“世界最強のライブバンド”になった理由

2000年代前半、The Hivesは急速に“ライブが異常にヤバいバンド”として世界中で噂になっていく。レコードだけでも十分危険だった。しかし本当のThe Hivesは、ステージの上で完成していたのである。特にフロントマンHowlin’ Pelle Almqvistの存在感は圧倒的だった。彼はただ歌うのではない。観客を支配していた。煽り、挑発し、笑わせ、暴れ回り、数千人規模の会場すら“地下のクラブ”みたいな空気へ変えてしまうのである。

またThe Hivesのライブは、“完璧に計算された混乱”だった。暴れているように見えて、実は全てが絶妙なテンポで進んでいく。曲間のMC、観客との距離感、バンド全体の動き。その全てが、“ロックショーとは何か”を熟知した上で作られていたのである。特にHowlin’ Pelleは、“ロックスターは半分コメディアンでもある”ことを理解していた。だから彼のMCは、危険なのに異常にユーモラスだった。自信満々で、ナルシストで、しかしどこか笑ってしまう。その絶妙なバランスが、The Hivesというバンドを唯一無二にしていたのである。

またこの時代、Reading and Leeds FestivalsやGlastonbury Festivalなど巨大フェスでのパフォーマンスによって、彼らの評価はさらに高まっていく。特に“初めてThe Hivesを観た観客が、一瞬で持っていかれる”現象は有名だった。知らないバンドなのに、数曲後には会場全体が熱狂している。その感覚は、昔ながらのロックンロールスターの力そのものだったのである。しかも彼らは、“インディーロック特有の気だるさ”をほとんど持っていなかった。常に全力。常に爆発寸前。そのテンションが、逆に新鮮だったのである。

2004年、『Tyrannosaurus Hives』。Tyrannosaurus Hives。この作品によって、The Hivesはさらに巨大な存在になっていく。特に「Walk Idiot Walk」。Walk Idiot Walk。この曲は、The Hives特有の“皮肉と暴走感”が完璧に詰まっていた。シンプルなリフ、挑発的な歌詞、そして異常な勢い。彼らは、“ロックは難しくなくていい”という事実を、最高の形で証明していたのである。またこの頃になると、彼らのファッションやビジュアルも完全にアイコン化していく。白黒スーツ、統一感、ギャングみたいな佇まい。それは単なる見た目ではなかった。“The Hivesという物語”そのものだったのである。

またThe Hivesは、“ロックバンドのフィクション性”を極端なまでに楽しんでいた。彼らはインタビューで、自分たちを“世界最高のロックバンド”と言い切る。しかしそれは、ただの傲慢ではなかった。むしろ、“ロックンロールとはハッタリ込みの芸術である”という理解だったのである。昔のIggy PopやMick Jaggerが持っていた、“現実より大きく振る舞う感覚”。The Hivesは、それを2000年代へ蘇らせていたのである。だから彼らのライブには、“現実逃避の快楽”があった。ただ音楽を聴くのではない。“ロックンロールの世界へ拉致される感覚”だったのである。

しかし興味深いのは、The Hivesが決して“懐古バンド”にならなかった点だった。彼らはガレージロックを愛していた。しかし同時に、“今この瞬間の熱狂”を最優先していたのである。だから彼らの音楽には、古臭さより“爆発力”があった。特にライブでは、その瞬間の空気を最優先していた。観客が熱狂すれば、さらに煽る。会場が混乱すれば、もっと加速する。その感覚は、パンクにも近かった。つまりThe Hivesは、“ロックンロールの原始衝動”を現代へ持ち込んでいたのである。

そして2000年代中盤、The Hivesは完全に“世界最強クラスのライブバンド”として認識されるようになっていく。しかし面白いのは、彼らがそこまで巨大化しても、“地下感覚”を失わなかった点だった。彼らには常に、“今から何か壊しそうな危険性”が残っていたのである。だから観客は、何度でも彼らを観たくなる。The Hivesのライブには、“ロックがまだ生き物だった時代”の感覚が残っていた。そしてそれこそが、世界中のロックキッズたちを熱狂させ続けた最大の理由だったのである。

第4章:ロックが“安全”になった時代に、The Hivesだけは笑いながら暴れていた

2000年代後半になると、ロックシーンは少しずつ変化していく。ガレージロック・リバイバルの熱狂は落ち着き、インディーロックはより内省的で、繊細な方向へ向かい始めていた。しかしThe Hivesは、その流れへほとんど興味を示さなかった。彼らは相変わらず、“ロックンロールとは騒がしく、危険で、最高に楽しいものだ”と言い続けていたのである。

2007年、『The Black and White Album』。The Black and White Album。この作品でThe Hivesは、新しい方向へ少し踏み込み始める。プロデューサーにはPharrell WilliamsやTimbalandまで参加。つまり彼らは、“ガレージロックだけのバンド”で終わることを拒否していたのである。特に「Tick Tick Boom」。Tick Tick Boom。この曲は、The Hivesの爆発力をそのまま凝縮したような一曲だった。巨大なリフ、暴力的な勢い、そしてHowlin’ Pelleの狂ったようなテンション。スポーツイベントやCMでも大量使用され、“ロックのアドレナリン”そのものみたいな存在になっていくのである。

またThe Hivesは、この頃になると“ロックバンドとは何か”そのものを体現する存在になっていた。彼らは難しい哲学を語らない。社会問題を正面から論じるわけでもない。しかし彼らには、“退屈な日常をぶち壊す力”があった。そこが重要だった。ロックンロールの本質は、元々そこにあったのである。日常を忘れさせること。人間を一瞬だけ自由にすること。The Hivesは、その最も原始的な快楽をずっと守り続けていたのである。

しかしその一方で、ロックそのものは徐々に“安全な文化”になり始めていた。巨大フェス、企業スポンサー、整えられたインディーシーン。かつて危険だったロックは、どんどん“お行儀のいいカルチャー”へ変わっていったのである。しかしThe Hivesだけは違った。彼らは、どれだけ成功しても“今から何かやらかしそうな空気”を失わなかった。その危険性が、本当にロックだったのである。

またHowlin’ Pelleは、この時代さらにフロントマンとして完成されていく。彼は単なるボーカリストではなかった。“ロックンロールそのものを演じる俳優”みたいだったのである。観客を笑わせ、煽り、挑発し、会場全体を巨大なパーティーへ変えていく。しかしその裏には、“ロックとは演劇でもある”という深い理解があった。The Hivesは、自分たちが“非現実”を提供していることを完全に理解していたのである。

また彼らの音楽は、時代が変わってもほとんどブレなかった。速く、短く、爆発的。それは一見シンプルに見える。しかし実際には、“ロックンロールの快楽だけを抽出する”極めて高度な感覚だったのである。余計な感傷を入れない。無駄に長くしない。ただ一瞬で火をつける。その潔さが、The Hivesの最大の武器だったのである。

そしてロックが少しずつ“懐かしい文化”として扱われ始めた時代でも、The Hivesだけは現役の危険物みたいに存在し続けた。彼らは、“ロックはまだ死んでいない”と本気で信じていた。そしてその信念を、白黒スーツ姿で叫び続けていたのである。

第5章:沈黙の時間、そして再び始まった“ロックンロールの暴動”

2010年代、The Hivesは少しずつ“伝説的ライブバンド”として語られることが増えていく。若い頃のように毎年巨大ヒットを飛ばすわけではない。しかし不思議なことに、彼らのライブ評価だけは落ちなかった。むしろ時代が進むほど、“The Hivesみたいなバンドはもう存在しない”という感覚が強まっていったのである。ロックシーンはさらにデジタル化し、多くのアーティストが繊細で内省的な方向へ向かっていく。しかしThe Hivesは相変わらず、“ロックとは爆発である”という思想を捨てなかった。

またこの頃になると、2000年代ガレージロック・リバイバルそのものが“歴史”として語られ始める。The Strokes、The White Stripes、Yeah Yeah Yeahs。その流れの中で、The Hivesは特に異質だった。なぜなら彼らは、“クールなインディーバンド”ではなく、“全力で馬鹿騒ぎするロックンロールギャング”だったからである。そしてその純粋さが、逆に時代を超え始めていた。

2012年、『Lex Hives』。Lex Hives。この作品で彼らは、セルフプロデュースという形を選ぶ。つまりThe Hivesは、“自分たちのロックンロールを他人へ預けない”道を選んだのである。特に「Go Right Ahead」。Go Right Ahead。この曲には、年齢を重ねたThe Hivesならではの余裕と、それでも失われない暴走感が同時に存在していた。若い頃みたいに無鉄砲なだけではない。しかし“ロックンロールを信じ切っている目”だけは、全く変わっていなかったのである。

また興味深いのは、The Hivesが“年齢を重ねても若作りしなかった”点だった。彼らは無理に現代的な音へ寄せない。流行へ媚びない。代わりに、“The Hivesというスタイル”そのものを磨き続けていたのである。白黒スーツ、巨大なMC、爆発的なショートチューン。その全てが、“ロックバンドという芸術”として完成され始めていた。特にHowlin’ Pelleのフロントマンシップは、年齢と共にさらに異常なレベルへ達していく。彼は観客を盛り上げるだけではない。“会場全体をThe Hivesの世界へ変えてしまう”のである。

そして2020年代に入ると、再びThe Hivesへの注目が高まり始める。理由は単純だった。“今の時代、こんなに純粋なロックバンドが逆に珍しくなってしまった”のである。コンセプトやSNS戦略が先行する時代の中で、The Hivesだけは相変わらず、“ステージで全部ぶっ飛ばす”ことしか考えていなかった。その潔さが、若い世代へも新鮮に映り始めていたのである。

また彼らのライブ映像は、YouTubeやSNSを通して再び拡散されていく。Howlin’ Pelleが観客を煽る姿、全力で暴れ回るメンバー、異常な熱狂。その映像を観た若いロックファンたちは思う。“ロックって、本当はこんなに自由だったのか”。The Hivesは、いつの時代も“ロックの初期衝動”を思い出させる存在だったのである。

そして長い沈黙を超えて、彼らは再び新作を発表する。2023年、『The Death of Randy Fitzsimmons』。The Death of Randy Fitzsimmons。このアルバムでは、The Hivesは相変わらず笑いながら暴れていた。年齢を重ねても、世界が変わっても、“ロックンロールは最高だ”という感覚だけは一切ブレていなかったのである。そしてその変わらなさこそ、今の時代には逆に革命的だった。

第6章:The Hivesは、“ロックンロールがまだ生きている証拠”だった

今改めて振り返ると、The Hivesは極めて特別な存在だった。彼らは単なるガレージロック・リバイバルの一部ではない。むしろ、“ロックンロールという文化そのもの”を体現し続けたバンドだったのである。速いギター、短い曲、叫ぶボーカル。その構造自体はシンプルだった。しかしThe Hivesには、“退屈な現実を破壊するエネルギー”が存在していた。

特にHowlin’ Pelle Almqvistというフロントマンの存在は巨大だった。彼は、“ロックスターは少し馬鹿げていなければならない”ことを本能的に理解していたのである。大げさで、ナルシストで、笑えるほど自信満々。しかし同時に、本気でロックを愛している。その感覚が、観客の心を掴んで離さなかった。彼は、現代では珍しくなった“本物のロックンロールフロントマン”だったのである。

またThe Hivesの凄さは、“ロックの快楽”を一切恥ずかしがらなかった点にもある。多くのバンドは、どこかでクールになろうとする。知的に見せようとする。しかしThe Hivesは違った。“最高にうるさくて、最高に楽しいなら、それでいい”。その潔さが、逆に圧倒的だったのである。彼らは、“ロックを分析する前に、まず踊れ”と言っているみたいだった。

また彼らは、“ライブバンドとは何か”を最後まで守り続けた存在でもあった。音源だけでは終わらない。ステージで観客を熱狂させて初めて完成する。その感覚は、古いロックンロール精神そのものだったのである。だからThe Hivesのライブには、“今この瞬間しかない”という異常な熱量が存在していた。そこには、デジタル時代では失われがちな“肉体性”が残っていたのである。

そして何より重要なのは、The Hivesが“ロックはまだ自由でいられる”ことを証明し続けた点だった。どれだけ時代が変わっても、どれだけ音楽業界が変化しても、“爆音で世界を笑い飛ばす快感”だけは消えなかった。The Hivesは、その快感をずっと信じ続けていたのである。

だから彼らの音楽を聴くと、人は少しだけ人生を忘れられる。嫌な仕事、退屈な日常、意味不明な不安。その全てを、一瞬だけ吹き飛ばしてくれる。そして気づくのである。“ロックンロールって、本当はこんなに馬鹿で最高なものだった”。The Hivesは、今日もその事実を叫び続けている。白黒スーツを着て、汗だくになりながら、“まだ終わっていない”と笑い続けているのである。