ホーム / 洋楽 / “夜はまだ終わらない――退屈を撃ち抜いた5人の音が、世界を塗り替えた瞬間”ザ・ストロークス(The Strokes)、ニューヨークの夜明けから現在までの軌跡

“夜はまだ終わらない――退屈を撃ち抜いた5人の音が、世界を塗り替えた瞬間”ザ・ストロークス(The Strokes)、ニューヨークの夜明けから現在までの軌跡

1. 崩れかけた都市の片隅で ― すべてはニューヨークの夜から始まった

1990年代後半のNew York City。グランジの余韻が消え、ロックはその中心を失っていた。巨大なムーブメントの終焉の後に残されたのは、かつての熱量の残像と、どこか空洞のような時間だった。音楽は存在していたが、それを“時代の音”と呼べるほどの強度を持つものは少なく、シーンは断片化し、それぞれが孤立したまま並列に存在していた。

クラブではエレクトロニック・ミュージックが鳴り続け、人々は夜ごと踊っていた。リズムはより機能的に、より身体的に進化し、音楽は“使われるもの”として最適化されていく。一方でギターバンドは、その流れの中で徐々に居場所を失い、過去の形式として扱われ始めていた。だが、その“居場所のなさ”こそが、新しい音の発火点となる。

ジュリアン・カサブランカス、ニック・ヴァレンシ、アルバート・ハモンドJr.、ファブリツィオ・モレッティ、ニコライ・フレイチャーの5人は、時代の要求に応えようとはしなかった。彼らはただ、自分たちが鳴らしたい音、自分たちが夜の中で聴きたい音だけを追い求めていた。その姿勢は無意識でありながら、結果的に時代に対する最も鋭い応答となる。

初期のライブは荒削りで、演奏は決して安定していなかった。リズムはわずかに揺れ、ボーカルは完璧から意図的に外れていた。しかしその“不完全さ”が、逆に現実の空気と直結した強いリアリティを生み出していた。それは整えられた音ではなく、“その場で鳴っている音”だった。

この時期を象徴するのが、後に音源として結実するThe Modern Ageである。この楽曲は、彼らがまだ無名だった頃にEPとしてリリースされ、口コミ的に広がっていった。特にロンドンでの初期ショーでは、この曲が鳴った瞬間に空気が一変したと語られている。ギターのカッティングは鋭く、それでいてどこか緩く、ボーカルは距離を保ちながらも感情を滲ませる。その“ずれた一体感”は、それまでのどのバンドとも異なり、観客は戸惑いながらも身体を動かさずにはいられなかった。

重要なのは、その反応が“理解”ではなく“反射”だった点である。観客はこの音を分析する前に、すでに動いてしまっていた。その瞬間、音楽は情報ではなく、現象として存在していた。

当時の音楽メディアは、この新しい動きを“ニューヨークの地下からの再生”として扱い始める。特にイギリスの音楽誌は早い段階で彼らを取り上げ、ロンドンの観客が先に熱狂するという逆転現象が起きた。これは単なる偶然ではなく、当時のUKが新しいロックの象徴を強く求めていたことと無関係ではない。

一方ファンの反応はさらに直接的だった。名前も知らないバンドに対しても、音が鳴った瞬間に身体が反応する。ライブ後に残るのは明確な評価ではなく、“何かが起きた”という感覚だけだった。その感覚が口コミとして広がり、少しずつシーンを変えていく。

この広がり方は、従来のヒットとは決定的に異なっていた。メディアが先導するのではなく、現場の反応が先に存在し、それにメディアが追いつく。つまり音楽が“説明される前に共有される”状態が成立していたのである。

The Strokesは復活を目指したのではない。ロックを“今の音”として鳴らし直したのである。そしてその音は、まだ小さな空間の中にあった。しかしその小さな空間の中で起きていた変化は、確実に外へと広がっていく準備を整えていた。

誰も名前を知らないまま、音だけが先に広がる。その異常な順序こそが、The Strokesという現象の始まりだった。

2. “Is This It” ― 世界を変えた、あまりにもシンプルな一撃

2001年、Is This Itがリリースされる。この作品は単なるデビュー作ではなかった。それはロックというジャンルに対する問いであり、同時にその答えでもあった。90年代の終わり、音楽は細分化され、巨大な物語を持つ存在は失われていた。誰もが新しい何かを求めていたが、それが何であるかを明確に提示できる者はいなかった。そんな中で現れたこのアルバムは、驚くほどシンプルな形をしていた。

Last Niteは、その象徴である。この楽曲は直線的なコード進行と明快なリズムを持ちながら、その裏側で“わずかなズレ”を抱えている。ジュリアン・カサブランカスのボーカルは完璧にリズムに乗るのではなく、ほんの少し遅れ、ほんの少し歪む。その微細な違和感が、逆に強烈なリアリティを生み出す。聴き手はそれを“正確さ”ではなく“存在感”として受け取る。

レコーディングにおいても、この不完全さは意図的に残された。音を整えすぎることで失われる空気を避けるため、彼らはスタジオで“ライブのように鳴る音”を追求した。その結果として生まれたのは、完成された作品でありながら、どこか未完成のまま揺らいでいるような感触を持つアルバムだった。

ライブでは、この曲が鳴り始めた瞬間に空気が変わる。観客は構えることなく、自然に身体を動かし始める。それは盛り上がりというよりも、反射に近い反応だった。考えるより先に身体が動く。その状態において、音楽は娯楽ではなく、純粋な現象として存在していた。

メディアはこの作品を“ロックの再生”として大きく取り上げ、特にヨーロッパでは過剰とも言えるほどの称賛が集まった。しかし重要なのは、その評価が“後から追いついたもの”だったという点である。現場ではすでに、この音に対する反応が起きていた。クラブでもバーでも、この楽曲が流れると観客は自然に揺れ始める。その広がりは説明によるものではなく、体験によって共有されていった。

The Strokesはここで、単なる新しいバンドではなく、“判断基準そのもの”になった。何がロックであるか、何が今であるかを示す存在として、彼らは一気にシーンの中心へと押し上げられていく。

3. 続けるという選択 ― 成功の後に訪れた緊張と研磨

成功の直後に訪れるのは、称賛ではなく期待である。2003年の『Room on Fire』は、その期待の中で制作された作品だった。デビュー作が持っていた衝撃をどう扱うのか、それを繰り返すのか、それとも壊すのか。その問いに対して、The Strokesは“研ぎ澄ます”という選択をする。

Reptiliaは、この時期の緊張感を象徴している。ギターはより鋭く、リズムはよりタイトに、音は極限まで削ぎ落とされている。楽曲の構造はシンプルでありながら、内部には強い圧力が蓄積されている。その圧力は、繰り返されるリフによって徐々に増幅され、聴き手の身体へと直接作用する。

ライブでは、この楽曲が始まるとフロアの状態が一変する。観客は押し合い、ぶつかり合いながらも、同じリズムに同期していく。その状態は秩序ではなく、むしろ制御された混乱に近い。しかしその混乱の中で、確かな一体感が生まれている。

この時期の音には、バンド自身の状態がそのまま反映されている。同じスタイルを続けることへの不安と、変化することへの恐れ。その間で揺れながら、彼らは音をさらに研ぎ澄ませていった。

メディアの評価は分裂した。一部は“安全な続編”と評し、別の一部は“完成度の高い進化”と評価した。しかしその議論自体が、彼らがすでに大きな存在になっていたことを示している。ファンにとって重要なのは、その評価ではなかった。音が鳴った瞬間、すべては明らかになる。

The Strokesは、まだ終わっていない。むしろここからが、本当の意味での持続の始まりだった。

4. 亀裂と進化 ― 内側から崩れることで見えた新しい形

2006年、『First Impressions of Earth』。この作品は、それまでのThe Strokesのイメージを大きく揺るがすものだった。ここで彼らは、統一された美学を維持することよりも、内部の衝突をそのまま音に反映させることを選ぶ。

Juiceboxは、その変化を象徴する楽曲である。歪んだベースラインと重いリズムは、それまでの軽快さとは明確に異なり、より攻撃的で不安定な空気を生み出している。この音は、単なるスタイルの変化ではなく、バンド内部で起きていた摩擦の結果でもあった。

アルバム全体は、ひとつの方向へと収束するのではなく、複数の方向へと拡散していく。その構造は統一感を欠いているようにも見えるが、同時に非常にリアルでもある。完成されたバランスではなく、“過程そのもの”が作品として提示されている。

メディアはこの変化に戸惑い、“迷走”という言葉で語ることもあった。しかし一方で、その実験性を評価する声も存在し、評価は大きく分かれることになる。ファンの間でも同様の分裂が起きるが、ライブにおいてはその分裂は別の形で統合される。

楽曲が鳴った瞬間、戸惑いは消え、身体が先に反応する。その瞬間、評価や文脈は意味を失い、音の強度だけが残る。

The Strokesはここで、完成ではなく変化を選んだ。壊れながら進むという選択が、次の段階へと繋がっていく。

5. 沈黙と再生 ― 時間が変えたもの、変えなかったもの

2010年代に入り、バンドの活動は断続的になる。メンバーはそれぞれのプロジェクトに取り組み、The Strokesとしての時間は一時的に分断される。しかしその時間は、単なる停滞ではなく、バンドの在り方を再定義するための猶予でもあった。

Under Cover of Darknessは、その再生を象徴する楽曲である。この曲には初期の軽やかさが戻っているが、それは単なる回帰ではない。むしろ時間を経たことによる余裕が、音に新しい広がりを与えている。

リズムは急がず、構造には余白がある。その余白の中に、これまでの経験が静かに積み重なっている。メンバー同士の関係も、かつてのような緊張ではなく、距離を保ったまま成立するものへと変化している。

メディアはこの作品を“復帰”として語るが、ファンの感覚はそれとは異なる。彼らは戻ってきたのではなく、ただ続いていた。その連続性が、この音にははっきりと刻まれている。

ライブでは、かつてのような衝突ではなく、より滑らかな一体感が生まれる。観客は暴れるのではなく、音に身を委ねる。その変化は、音楽が単なる衝動から、共有される時間へと変わったことを示している。

6. そして現在 ― 終わらない夜の、その先へ

2020年、『The New Abnormal』がリリースされる。この作品は、過去の再現ではなく、すべてを通過した後にしか到達できない地点を示している。

The Adults Are Talkingは、その現在地を象徴する。軽やかなギターと浮遊感のあるボーカル、そして緻密に配置されたリズム。そのすべてが、これまでの要素を内包しながら、新しいバランスを生み出している。

この音は懐かしさを感じさせながらも、決して過去に留まらない。それは更新された現在であり、同時に未来への延長線でもある。制作においては“戻る”ことではなく“更新する”ことが徹底され、その意識が作品全体に貫かれている。

メディアはこのアルバムを後期の傑作として評価し、The Strokesは再び中心的な存在として語られるようになる。しかしその評価以上に重要なのは、音が持つ持続性である。

ライブでは新旧の楽曲が同じ熱量で鳴り、時間の断絶は感じられない。すべてがひとつの流れとして繋がっている。

The Strokesは終わらない。夜が続く限り、その音はどこかで鳴り続けている。そしてその音は、これからも新しい“今”を更新し続けていく。