カテゴリー: ロック

  • ラヴ イズ ノイズ(Love Is Noise/The Verve /2008)

    ラヴ イズ ノイズ(Love Is Noise/The Verve /2008)

    愛とは一体、何であろうか?
    古代から現代まで、そしておそらく続いていく未来においても人はそう問い続けていくのだろう。
    愛はすべて(love is all)なのか、愛は盲目(love is blind)なのか、愛は現金(love is cash)なのか、はたまた愛は死んだ(love is dead)のか、愛は終わった(love is over)だけなのか 。

    さまざまな主張や警句が愛について何かを言っている中で、ヴァーヴのヴォーカルであるリチャード・アシュクロフトは久しぶりに出したシングルでこういった。

    愛はノイズ(love is noise)で、愛は痛み(love is pain)で、愛は俺が再び口ずさみ始めたブルース(Love is these blues that I’m singing again)だ。

    いかにもリチャードらしいmadな感じがたまらない。
    そして伝説のアンセム、 BittersweetSymphonyを作り出したバンドにふさわしい復帰曲といえる。なにしろあの元oasisのノエル・ギャラガー(兄)がverveのシングルの中で一番の名曲だと断言していたくらいだから。

    もしあなたが愛についてなにかを語りたいなら語る前の最後にこの曲を聴いて欲しい。
    そしてこの曲を聴いてもまだ何か愛について語れるとするならば、それは愛について語る価値のある何かになっていると思う。
    きっと。

  • 99プロブレムズ(99 Problems/Jay-Z/2004)

    99プロブレムズ(99 Problems/Jay-Z/2004)

    一般的に男はいったん家の外に出ると99人の敵がいる。
    …あれ?10人だっけ。それとも3人だっけ?
    といったところで99プロブレムズです。
    俺、99個も問題抱えているけどその中に女関係は1個もないぜ。
    という 元デフ・ジャムの社長の高らかな宣言です。
    かつて日本には「われに七難八苦を与えたまえ」と言った山中鹿之助という勇将なのか無謀の将なのか判別がしがたい侍がいたのですが、軽く見積もってもその6倍です。
    多すぎだろうよ、と突っ込みたいのですが世のもてない男子としては、女問題がひとつもないのかよ、とこっちを突っ込みたくなります。
    それはさておき相変わらず流れるようなリリックとド派手な効果音はさすが。
    何度も何度も繰り返されるサビのフレーズに思わず自分も口ずさんでしまいます。

    俺、99個も問題抱えているけど、そん中に女関係は1個もないぜ。

    いや、それはないか…。

  • バック ダウン サウス(Back Down South/Kings of Leon/2010)

    バック ダウン サウス(Back Down South/Kings of Leon/2010)

    カントリーがrockできるなら、演歌もrockできるのだろうか。
    なんて気障ったらしい入り方だけどこの曲はほんとうにカントリーでロックしている。
    もともとサザンロックなどでもバンジョーなどのアメリカ南部独特の楽器を取り入れるだけでなく、カントリーの心、というか魂のようなものをロックの文脈に置き換えて歌っていた(と個人的には思っているけどもし大きく間違っていたらごめんなさい)と思うけど、この曲ではカントリーとロックが分かちがたくひとつの大きな河となって流れている。
    最初のギターソロを聞いたときから、それは現れる。落ちていく夕日を受けて黄金色に輝く南部の草原風景。緑の木はなくほとんどすすき野のような乾いたかれた風景がそれでも美しく輝いている。「すべての美しい馬」や「大草原の小さな家」のオープニングみたいな光景だ。
    それにしてもカレブ・フォロウィルの声は透き通っていてそれでいて深く遠くへ広がっていく強さがある。この声を聴くとなぜか「風とライオン」という映画のラストシーンが思い浮かぶ。
    と書いてみて気づいたらライオンが共通だった。もしかしてそこがこの二つの時代も場所も離れたものを僕の頭の中で繋いでいたのかもしれない、と思い出した。
    たぶん、違うと思うけど。
    もしよければ夕焼けがきれいな季節、しかも紅でなく黄金色に染まる季節、11月の終わりがいいと個人的には思っている、に野外で風を受けながら聴いてほしい。
    風とギターとカレブの声とどこまでも続く世界。
    それはその一瞬しかない美しさだけど、確かにその一瞬にはある世界の美しさなのだから。

  • カム・アズ・ユー・アー (Come as You Are/Nirvana/1991)

    ニルヴァーナといえば圧倒的な代表曲、スメルズ・ライク・ティーン・スピリット “Smells Like Teen Spirit”が即頭に浮かぶ、そういう人が多いと思う。
    導入部の印象的なギターリフにHello、Hello、Hello、How Law? のアイロニカル・シュガーたっぷりなサビ、洋楽を聴かない人でもこの1曲は知っている人が多い。
    でも今回紹介するのはそのもっとも有名なRock Anthemではない。
    その曲のアルバム順で言うと1曲後の曲、comes as you are。
    このタイトルを訳そうとするときにいつも言葉に迷う。
    そのままで来いよ、では誰にという部分が弱い気がするし、そのままの君で来いよ。とすると何か気障というか妙な色が入っているような感じになる。
    そのままの君でおいで、なんかにするとこれはもう最悪だ。
    いつものままで来いよ、というのもいいような気もするがすこしだけ冗長な感じもある。
    いまのお前のままで来いよ、というのも捨てがたいが口に出して言うとなにかが違って聞こえる。
    結局のところ原題をカタカナ読みにして、カム・アズ・ユー・アーとしてその音の響きで納得するのが一番いいのじゃないかと、いまのところは思っている。
    それにしてもこの曲、ヴォーカルであるカート・コヴァーン(レッチリのカリフォルニカーション/californicationでのアンソニーの発音に忠実だとコヴェイン)が自身のアイコン化とヒット曲の一人歩きを激しく憎みながら死んでいったことから考えると、この歌の響きは皮肉でもある。
    純粋であるがゆえに極端に虚飾を排し、成功の後にやってくる以前とは変わってしまったものに対して柔らかくNOを突きつける。
    人間はみな変わり行く生き物で、昔のままで来いというのはある意味無理なこと、そういうことで暗に拒絶をしているというのは言い過ぎだろうか?
    後半のサビでは、銃は持ってないから、というのがしきりに繰り返される。どうしてそんなことを言う必要があるのだろうか。
    きっと言う必要があったんだろう。
    昔のままで来いと言いつつ来ない事をほんとうは望んでいるカート・コヴェインには。

  • アンダー・ザ・ブリッジ(Under the Bridge/Red Hot Chili Peppers/1991)

    もしあなたがどこかでこのバンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、通称レッチリの名前を聞いて、ちょっとだけ興味をもって試しに3分ぐらいだったら耳を貸してもいいかなと思ったら。
    そう思ったなら、 とりあえずこの曲のPVをyoutubeかなんかで再生してみてください。

    ほら、聴こえてきたでしょう。どこか物悲しく、それでいて虹色を思わせる音色を持つギターソロが。そしてそのまま一人の男の独白が始まります。その男が囁く様に寂しさとある街への愛を2度繰り返し語ったところで一区切り。あらためて大きなネジを巻きなおすようにベースが入ってきて、それとともにドラムも静かに鼓動を打ち始めます。 終盤まではずっとこの調子。最後のパートに入って一気にコーラスも入り盛り上がっていきます。
    この盛り上がりまでがちょうど3分。でもおそらくここまでを聴いていただけたのなら残りの1分30秒もそのまま聴いていただけるのではないかと思います。

    レッチリといえばとにかく凄いスピードで暴れまくって飛び回って、汚い言葉が機関銃のように撒き散らされる、そういうイメージもあったでしょうが(まあ特にキャリア初期ではあながち間違いでもないような気もしますが) 、この曲はまったくそれらとかけ離れたところにある、スローで悲しみに満ちたファンクバラードといったところです。
    ファンクといったところは、歌詞がやっぱりちょっと普通でないから。タイトルのアンダーザブリッジ、橋の下で何をしているのか。歌のなかでは『血を抜いた』なんて表現されてますが、ようは一発キメてたんですね。

    それでまた複雑なことにこの歌詞をヴォーカルのアンソニー・キーディスが書いてたときは実は彼はシラフ=ドラッグを止めていた時期。つまり周りのみんなは曲作りの合間にドラッグやっているのに自分はやっていない時期なんですね。
    とくにそれまでバンドの中でのドラッグ依存№1だったのに急にドラッグ止めて『ドラッグをやるなんて格好悪いぜ、ケッ』なんて言ってたもんで、バンド仲間からも煙たがられ孤立状態に陥ってたようです。それでその疎外感と悲しみをこの歌詞の中にありったけ叩き込んでうさを晴らしていた、というのが本音のよう。

    そんな裏事情を知ってても知らなくても、何度か聴けばその強いリリシズムにどっぷりと浸かってしまうのがこの曲の凄さ。
    あなたがもしも現実になにかに、誰かに、彼らに彼女らに疎外され傷ついているとしたらこの曲を一度誰もいない安心なところで聴いてみるといいでしょう。
    どんな時でも裏切らずあなたの傍に寄り添ってくれるcompanion=仲間はいる、すくなくともこの歌はそういう人たちの為の歌、戦友になれる歌です。

  • ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody/Queen/1975)

    日本で言う“物語の祖”が「竹取物語」なら世界のミュージックビデオ、いわゆるPVの祖と言えるものがこのボヘミアン・ラプソディです。

    それだけでなくそれまでのrockの常識を超えた長さ(ほぼ6分!)であり、その他に例をみない構成でも有名な曲です。
    でもそんな日本初めて凄い自慢みたいな形容詞はとっぱらってとにかく、聴いてよし、観てよし、歌ってよし、そしてヘッドバックしてよしの4拍子そろった無敵のエンターテイメントソングです。

    序盤の託宣風のアカペラ から始まり、本サビを歌いだしたと思ったら1フレーズ目のいきなりの独白。
    『ママ、俺、人殺しちゃったよ』
    お前、ほんとに殺っちゃったのかよ!と突っ込む間もなく止めの次の第2フレーズ。
    『奴の頭に銃を突きつけて、引き金引いちゃったよ』
    ほんとに殺っちゃってるよ!ていうかそんなことお前母親に言うなよ!!といってる間に第3フレーズ。
    『ママ、人生始まったばっかなのに全部台無しにしちゃったよ』
    そりゃそうだろ!と突っ込み続けるのも疲れるのでここまで。あとだいぶ意訳なのでその点はご勘弁ください。
    とにかくこの後ひとしきり嘆いたあと、お待ちかねのロックパートで爆発。
    そしてまた最後は諦念の彼方に消えていくというそれはもうカタルシス満開の展開なのです。

    90年代のコメディー界を凄い勢いで荒らしまわっていたマイク・マイヤーズの出世作「ウェインズ・ワールド」 でもこの曲のカタルシスが見事に表されています。
    友達と車に乗るマイク・マイヤーズ。おもむろに取り出されるボヘミアン・ラプソディのカセットテープ。カセットは車のデッキに吸い込まれ、合唱、そしてサビでのヘッドバッキング。これとまったく同じ経験をした人も多いのではないでしょうか。
    そういう私もやりました、はい。
    もっともその時はカセットでなく既にCDでしたが。

    いま時代はさらに飛び越えてDVDかipod(さらにこの時からだいぶん時間を経た”今”やデータ配信が当たり前に!)になっていますけどね、いやはや。
    とにかく この曲を一番よく聴く方法のひとつであることは間違いありません。
    もしよければあなたも晴れた天気の日か、夜空がきれいな星の日か、車に乗ってスイッチを入れてみませんか。そして思いっきり歌い、ヘッドバッキングしこの歌のよさを思う存分味わってください、ハンドルを持っていない場合は。