ホーム / 洋楽 / 数学みたいな音楽で、彼らはロックの感情を再定義してしまった ― バトルズ(Battles)、混沌と知性の狭間で鳴り続ける“未来のバンド”

数学みたいな音楽で、彼らはロックの感情を再定義してしまった ― バトルズ(Battles)、混沌と知性の狭間で鳴り続ける“未来のバンド”

第1章:ハードコア、ジャズ、ノイズ―― “異端者たち”はニューヨークで交差した

2000年代初頭のニューヨーク。そこには、ガレージロック・リバイバルの熱狂が渦巻いていた。The StrokesInterpol、Yeah Yeah Yeahs。街は再び、“ロックバンドの時代”へ戻ろうとしていたのである。

ロウアー・イースト・サイドのクラブでは毎晩ギターが鳴り響き、細身のジャケットを着た若者たちが煙草の煙の中で踊っていた。2000年代初頭のニューヨークには、“ロックがもう一度世界を変えるかもしれない”という高揚感が確かに存在していたのである。

しかしその流れとは全く別の場所で、異様な音を鳴らそうとしていた集団がいた。

それが、Battlesだった。

彼らは最初から、“普通のロックバンド”ではなかった。

メンバーそれぞれが、既にアンダーグラウンドシーンで強烈なキャリアを持っていたのである。

ギタリストのIan Williamsは、マスロックバンドDon Caballero出身。ドラマーのJohn Stanierは、伝説的ポストハードコアバンドHelmetの元メンバーだった。

さらにギター/ボーカルのTyondai Braxtonは、前衛ジャズ界の巨人Anthony Braxtonの息子でもあった。

つまりBattlesは、“ロックの王道”とは全く違う場所から集まった異端者たちだったのである。

彼らの頭の中には、ハードコア、ミニマルミュージック、ジャズ、電子音楽、現代音楽、ノイズ、その全てが同時に存在していた。

しかし興味深いのは、彼らが“難解な音楽をやろう”としていたわけではない点だった。

むしろ彼らは、“肉体的に興奮する音”を追い求めていたのである。

複雑なリズム。反復するフレーズ。ズレ続けるビート。普通なら“頭で聴く音楽”になりそうな要素を、Battlesは“身体が反応してしまうグルーヴ”へ変えていた。

そこが革命的だったのである。

特に彼らは、“反復”の使い方が独特だった。同じフレーズが延々と続いているように聴こえる。しかし実際には、少しずつズレ、変形し、気づかないうちに景色が変わっている。その感覚は、まるで巨大都市を歩き続けている時の感覚に近かった。

また当時のニューヨークには、“インディーロックの新しい形”を探す空気が存在していた。

ロックは既に成熟しすぎていた。ギター、ベース、ドラム。そのフォーマットだけでは、もう新しい未来を作れないのではないか――そんな感覚が広がっていたのである。

Battlesは、その閉塞感を真正面から壊した。

彼らは、“ロックの構造そのもの”を分解し始めたのである。

特にIan Williamsのギターは異常だった。

彼の演奏は、普通のロックギターではない。

リフというより“幾何学模様”。

音がループし、重なり、ズレながら進んでいく。しかし不思議なことに、その音は冷たくなかった。むしろ異様な熱量があったのである。

Ian Williamsは、ギターを“コードを鳴らす楽器”として扱っていなかった。彼にとってギターは、“リズムと構造を生成する機械”だったのである。そのためBattlesの楽曲では、ギターがメロディより“運動”を作り出していた。

またJohn Stanierのドラムも圧倒的だった。

巨大なシンバルを高く設置し、全身で叩き込むそのスタイルは、“人間が機械になろうとしている瞬間”みたいだった。

しかし彼のドラムには、機械にはない汗臭さがあった。

だからBattlesの音楽は、“計算”だけでは終わらなかったのである。

John Stanierのドラミングには、ハードコア出身ならではの暴力性が残っていた。どれだけ複雑な構成でも、彼のビートには常に“肉体がぶつかってくる感覚”が存在していたのである。

そしてニューヨークのアンダーグラウンドで、少しずつ噂が広がっていく。

“理解できないのに、異常に興奮するバンドがいる”。

彼らのライブを観た観客たちは、うまく説明できなかった。

踊れるのに変だ。
数学みたいなのに熱い。
機械っぽいのに人間臭い。

その矛盾こそ、Battles最大の魅力だったのである。

また当時のインディーシーンでは、“ロックは感情的であるべき”という暗黙のルールがまだ強かった。しかしBattlesは、感情を直接叫ばない。代わりに、“構造そのもの”で感情を生み出していたのである。

それは、ポストロックとも違った。

彼らは壮大な感動を目指していない。

むしろ、“混乱しながら前へ進む感覚”そのものを音楽化していたのである。

Battlesは、この時点で既に“未来”だった。

そしてその未来は、2000年代インディーロックの価値観そのものを少しずつ変え始めていたのである。

第2章:『Mirrored』― “Atlas”が世界を狂わせた瞬間

2007年、Battlesはデビューアルバム『Mirrored』を発表する。Mirrored。

その瞬間、インディーロックシーン全体へ衝撃が走った。

なぜならこのアルバムは、“ロックの未来”そのものに聴こえたからである。

それまで多くのバンドが、“過去のロックの焼き直し”を続けていた。しかしBattlesは違った。彼らは本当に、“まだ誰も聴いたことのない音”を作っていたのである。

特に「Atlas」。Atlas。

この曲は、Battlesというバンドを象徴する存在になる。

「People won’t be people when they hear this sound」。

あの奇妙な高音ボーカル。反復し続けるベースライン。暴走するリズム。普通に考えれば、ヒットするような音ではない。

しかしなぜか、人々はこの曲へ中毒的に惹きつけられていったのである。

特にTyondai Braxtonの加工ボーカルは革命的だった。

それは“歌”というより、“人間の声をサンプラー化した音”だった。

しかしそこには、不思議な感情が宿っていた。

無機質なのに熱い。機械みたいなのに、人間臭い。

Battlesは、“ロックとテクノロジーの境界線”を完全に曖昧にしていたのである。

しかも「Atlas」は、単なる実験音楽では終わらなかった。

そのビートには、“祝祭感”があった。

観客は困惑しながら踊り始める。理解できないのに身体が反応してしまう。その感覚は、まるで未知のダンスミュージックに遭遇した瞬間みたいだったのである。

また『Mirrored』最大の特徴は、“難解なのに踊れる”点だった。

変拍子。反復。ポリリズム。普通ならリスナーを拒絶しそうな要素ばかりだった。

しかしBattlesは、それを“祝祭”へ変えてしまったのである。

ライブになると、その感覚はさらに異常だった。

John Stanierのドラムが鳴り始める。Ian Williamsのギターがループする。観客たちは混乱しながら踊り始める。

そこには、“ロックコンサート”とも“クラブミュージック”とも違う空間が生まれていた。

Battlesは、“知性と肉体性”を同時に成立させていたのである。

また当時、多くの批評家たちは彼らを“マスロック”と呼んだ。

しかしBattles自身は、その枠へ収まらなかった。

彼らは数学的だった。しかし同時に、異常に感情的でもあった。

特に『Mirrored』には、“都市の混乱”みたいな熱が存在していたのである。

高層ビル、ノイズ、情報過多、終わらないリズム。

Battlesは、2000年代の都市そのものを音楽へ変えていた。

その感覚は、インターネット時代とも深く繋がっていた。

大量の情報。
無限スクロール。
常に何かが鳴っている感覚。

Battlesの音楽には、“現代人の脳内”みたいな混沌が存在していたのである。

またこの頃のライブパフォーマンスも伝説的だった。

彼らは決して派手なバンドではない。

MCも少ない。感情を露骨に見せるわけでもない。

しかし演奏が始まると、空間そのものが歪み始める。

特にJohn Stanierの存在感は圧倒的だった。

汗だくになりながら、機械みたいな精度で叩き続ける。

しかしその姿は、むしろ“人間の限界”そのものに見えたのである。

またTyondai Braxtonの存在も独特だった。

彼はフロントマンというより、“指揮者”みたいだった。

サンプラー、
ループ、
声、
ギター。

全てを同時に操りながら、“巨大な音の迷宮”を構築していく。その姿は、普通のロックバンドのライブとは完全に別物だったのである。

そして『Mirrored』によって、Battlesは世界的評価を獲得する。

Coachella Valley Music and Arts Festival、Glastonbury Festival、巨大フェスへの出演。

しかし興味深いのは、彼らが決して“分かりやすい成功”へ向かわなかった点だった。

Battlesは最初から最後まで、“普通のロックスター”になろうとしていなかった。

彼らはただ、“まだ誰も聴いたことがない音”を探し続けていたのである。

そしてその探求心こそ、Battlesというバンドを唯一無二の存在にしていくのである。

第3章:Tyondai Braxton脱退 ― “未来のバンド”は、一度バラバラになった

2010年、Battlesは大きな転機を迎える。

中心人物の一人だったTyondai Braxtonが脱退したのである。

そのニュースは、多くのリスナーへ衝撃を与えた。

なぜなら当時のBattlesは、“4人で完成する奇妙な生命体”のように見えていたからだ。

Ian Williamsの幾何学的ギター。
John Stanierの肉体的ドラム。
Dave Konopkaの重厚な低音。
そしてTyondai Braxtonの人間離れしたボーカルとサンプル操作。

その全てが噛み合うことで、Battlesは“未来”になっていたのである。

特にTyondaiの存在は大きかった。

彼の加工ボーカルは、Battles最大の個性の一つだった。

人間の声なのに、
機械みたいで、
子供みたいで、
不気味で、
しかしどこか感情的。

その奇妙なバランスが、『Mirrored』という作品全体を特別なものにしていたのである。

しかし同時に、TyondaiはBattlesの中で最も“クラシカルな作曲家”でもあった。

彼は音を並べるというより、“構造物”を設計していた。

ミニマル音楽、
現代音楽、
反復構造。

その感覚は、他のメンバーとも少し違っていたのである。

そしてBattlesは、一度バラバラになる寸前までいく。

多くのファンは思った。

“もうBattlesは終わるのではないか”。

実際、普通のバンドなら終わっていたかもしれない。

しかしBattlesは違った。

彼らは、“失われたものを埋めよう”とはしなかったのである。

むしろ、“3人になったBattles”を新しく作り直そうとした。

そこが、このバンドの異常なところだった。

2011年、『Gloss Drop』。Gloss Drop。

この作品は、Tyondai脱退後初のアルバムだった。

そして驚くべきことに、Battlesはここでさらに“開かれた音”へ進化していたのである。

特に面白かったのは、多数のゲストボーカルを招いた点だった。

Gary Numan、
Kazu Makino、
Yamantaka Eye。

Battlesは、“ボーカルを失った穴”を埋めるのではなく、“外部の異物”をどんどん混ぜ込み始めたのである。

その結果、『Gloss Drop』は『Mirrored』とは全く違う作品になった。

よりカラフルで、
よりダンサブルで、
しかし同時に、さらに奇妙だった。

特に「Ice Cream」。Ice Cream。

Kazu Makinoの浮遊感あるボーカルと、狂ったようにループするリズム。

この曲は、“ポップソングのようで、全然ポップじゃない”不思議な感覚を持っていた。

しかし同時に、Battles史上最もキャッチーな曲の一つでもあったのである。

またJohn Stanierのドラムは、この時期さらに異常になっていく。

彼は人間なのに、どこか機械みたいだった。

しかし完全な機械にはならない。

少しだけズレる。
少しだけ熱くなる。

その“人間っぽい揺らぎ”こそが、Battlesのグルーヴを特別にしていたのである。

そしてこの頃になると、彼らは“ロックバンド”というより、“音響システム”みたいになっていく。

ギター、
ドラム、
エフェクト、
ループ。

全てが巨大な回路みたいに繋がり、一つの生き物のように動き続ける。

ライブ会場では、観客たちは半分混乱しながら踊っていた。

何拍子なのか分からない。
どこがサビなのかも分からない。

しかし身体だけは勝手に動いてしまう。

Battlesは、“理解より先に肉体を反応させる音楽”を作っていたのである。

また興味深いのは、彼らが“感情を直接歌わない”点だった。

普通のロックバンドは、
愛、
孤独、
怒りを歌う。

しかしBattlesは違った。

彼らは、“構造そのもの”で感情を作り出していたのである。

反復が続く不安。
突然開ける高揚感。
ズレ続けるリズムの緊張。

その全てが、“言葉にならない感情”として聴き手へ伝わっていた。

そして『Gloss Drop』によって、Battlesは証明する。

彼らは、“Tyondai Braxtonがいたから凄かったバンド”ではなかった。

むしろ、“変化そのものを受け入れるバンド”だったのである。

第4章:ロックでもクラブでもない ― Battlesは“都市そのもの”になっていった

2010年代中盤以降、Battlesはさらに奇妙な存在になっていく。

彼らを、“ロックバンド”と呼ぶのは少し違った。

しかし電子音楽でもない。
ジャズでもない。
現代音楽でもない。

Battlesは、そのどれでもあり、そのどれでもなかったのである。

2015年、『La Di Da Di』。La Di Da Di。

この作品では、ゲストボーカルすらほとんど消えていく。

つまりBattlesは、“歌”からさらに距離を取ったのである。

そこにあったのは、純粋な反復と構造だった。

音が重なり、
ズレ、
壊れ、
また組み直される。

まるで巨大都市そのものみたいな音楽だったのである。

特に現代の都市生活は、Battlesの音楽とよく似ている。

終わらない通知。
地下鉄のノイズ。
信号。
広告。
情報過多。

現代人の脳は、常に何かへ接続され続けている。

Battlesは、その“情報社会のリズム”を音楽化していたのである。

しかし面白いのは、彼らの音楽が決して冷たくならない点だった。

むしろ異常にフィジカルだった。

特にJohn Stanierのドラム。

彼は相変わらず、“機械になりきれない人間”みたいに叩き続けていた。

汗だくになり、
肩を揺らし、
全身でビートを押し込む。

その姿には、“人間が機械社会へ抵抗している感じ”すらあったのである。

またIan Williamsのギターも、どんどん抽象化していく。

普通のロックギターのように“感情を叫ぶ”ことはない。

代わりに、
断片的なフレーズ、
反復、
リズムのズレ。

それらが空間全体を支配していく。

彼は、ギターを“メロディ楽器”ではなく、“空間を設計する装置”として扱っていたのである。

そしてBattlesのライブは、この頃さらに独特になっていく。

照明。
ループ。
反復。
巨大な音圧。

そこには、“バンドを観る感覚”がなかった。

むしろ観客は、“巨大な都市システムの中へ飲み込まれていく感覚”を味わっていたのである。

またこの頃になると、多くの若いミュージシャンたちがBattlesから影響を受け始めていた。

マスロック、
エレクトロニカ、
ポストロック、
IDM。

ジャンルを越えて、“構造でグルーヴを作る感覚”が広がっていったのである。

しかしそれでも、Battlesを完全に真似できるバンドはほとんど現れなかった。

なぜなら彼らは、単なる“テクニカルなバンド”ではなかったからだ。

そこには常に、“肉体”が存在していた。

数学的なのに汗臭い。
機械的なのに人間的。

その矛盾こそ、Battles最大の魔力だったのである。

そして2019年、『Juice B Crypts』。Juice B Crypts。

この作品では、さらに混沌が加速していく。

ラテン的グルーヴ。
ノイズ。
電子音。
奇妙なポップ感覚。

Battlesは、キャリアを重ねるほど“説明不能”になっていった。

しかしそれこそ、彼らがずっと追い求めていたものだったのである。

“まだ誰も聴いたことがない音”。

Battlesは今も、その未来を探し続けているのである。